縄文王国山梨

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登録日:2013/03/31 14:04:56

イベント報告7 縄文人の世界観─縄文土器を読み解く─

カテゴリ 歴史   文化  

講演3

最後の登場は、世界を股にかける民族学者大西秀之講師でした。
 話のテンポが早いだけでなく、講師の動きも早いのでカメラが追いつきません!

 

漸く捉えた大西秀之講師の姿。
 調査対象となる社会は一枚岩か?
 社会にはさまざまなランクや年齢のひとで構成されており、誰もが同じことを考えているわけでないとか。
 それでも織物の文様は、誰もが知っている緩やかな意味を持っているなど、目からウロコの話でした。

大西秀之氏の講演の内容の一部紹介

 同志社女子大学の大西です。最初に村石さんに経緯を全てご説明して頂きましたので、本来は最初の時間から聞きたかったんですけど、本当に遅れて申し訳ありません。まだ遅れたにもかかわらずこのような機会を作って頂きまして、本当にありがとうございます。心からお礼とお詫びを申し上げます。あまりこういうくどくどとお礼とお詫びをしてても意味が無い。むしろ今日のご恩返しは、少しでも今日のお話を実りのある、前の発表されたお二人と、うまくか、うまくないなりにそれをネタにしてお話が出来るものを発表出ればと思います。

 そろそろ暗くして頂いて良いでしょうか。私自身の専門というものは、今日のタイトルは「土器づくりは文様に意味を込めるのか。民族誌フィールドで垣間見る製作者の認知と行動」と、何か難しそうなタイトルが付いてるかなと思われるかも知れませんが、民族誌フィールドというのは簡単なことです。実際に我々と異なる文化とか社会とか集団の人々のところに出掛けて行って、そこで住みこんで調査をする。現地に赴いて調査をする。一般的には人類学、ないしは一般社会ではむしろ民族学ですね。エスニックの方の何々、民族の方の民族学というような内容で語られている。ただ実は私自身は今先程の紹介で、頭で考えてることを実際の人に聞いたらという話をして頂いたんですが、実は私自身、学部ないしは大学院の最初の頃までは、考古学の専門教育の研究をしていたんです。ですので今日のお話は純粋に人類学、民俗学側じゃなくて、考古をやっていた人間が実際に出掛けて行った。出かけて行って逆に考古がどういうふうに見えるようになったのかというお話になるとお考え頂ければと思います。前振りはこれぐらいにして、お話を進めたいと思います。

 まず僕自身、山梨に行くのは怖いです。縄文の本場の1つにやってきて、縄文土器の意味を問うなんていうことはおこがましいと思いますので、まずまず一般論から言いたいと思います。まず縄文土器の文様です。先程の素晴らしい小川さんの写真に比べると、というと失礼ですけど、ひょっとしたら小川さんの写真が入ってるかもしれません。インターネットで講演の為に一部コピーライトを制限してとらせてきて貰ってます。素晴らしい文様で、圧倒的な存在感ですねやはり。かつある種の畏怖の念、感動というものを呼び起こします。そうすると我々人間は、何の為にこんな文様があるんだろうか、どんな意味があるんだろうかとか、どんな理由で付けたんだろうか、更にはどうやって付けたのか。今ここで言う問いは茶化した問いでは無くて、実は今日の話の内容に合ってます。後で又レジュメ、ちょっと僕の作りが悪かったんで見難いものがあるかもしれませんが、戻って頂ければと思います。そうすると、文様の意味と言うと、一般的にはこれは考古学ないしは人類学を含んでいて、大体2つに分かれます。2つに分かれるのはある意味象徴的な意味です。象徴と言うとシンボルですね。これも実際の民族写真です。アイヌの人達が祈りを捧げるイオルという所に置くものです。今でも慰霊祭の前に作ってらして、ここではある刻み、我々の目から見ると意味の分からない刻みなんですが、これが先祖の、いわゆる日本で言う所の、これはちょっと誤解を呼ぶかもしれませんが家紋とかそういうものに近い文様になってます。いわゆる世界観とかコスモロジーです。我々にはただの刻みに見えるものが、これはシャチの意味があるとか、その他の色んな意味があるとかいう刻みになってます。そうすると世界観とかコスモロジーですね、神話の世界とか。あとは儀礼、お祭りごとなんかで意味がある、使う意味がある。もちろんそこには文化的な価値観が当然存在する。今ちょっとレジュメを見させて頂くと、最初から聞いておくべきだったんですが、小野さんのご発表の中にもこういう話が交えられて書かれているような気がします。それに対して、これは果たして意味と言えるかどうかというのは後でご説明します。機能的な意味です。これは今日最初の縄文土器意外は全て僕の調査の写真なんですが、これはスリランカ。1回だけ調査に行かせて頂いたことがあるんですが、この内側に付いてる文様みたいなものは、これはお米をこの中に入れて砂取り、砂利取りです。溝に引っ掛けて、砂とか砂利を取ります。そうすると、この器自体を使う役割とか、そういうものですね。後は実際の使用の中に意味を出すもの。製作技術の関係もあります。先程写真のご発表の中で、弥生だとつまらなくなる。弥生とか後でご説明する古代末から中世の文様と言うのは、技術の作り方の結果、叩いた、叩き目が付いたものが文様になってます。

 そういう意味では、必ずしもそれは意味、我々が一般的に見るとどんな世界観だったのか、どんな意味だったのだろうかという意味が発表されていないというふうな話になります。そうするとそれは誰にとっての意味なんだろうか、何の為の意味なんだろうか、どんな意味なんだろうか。ここで気を付けて頂くのは機能的な意味というものは、これも意味が無いわけではないですね。この溝は何の意味があるの、これは砂取る意味だよと現地の人も言う筈です。観察者が見た時にこの意味というのは実は、砂利取りの意味だったんだなという意味が分かる筈です。ここで我々が一般的に意味と言うとすぐに最初の象徴的、何か凄い世界観だ、何か凄い神話の世界が、荒唐無稽な話まで含めて見れるんじゃないかという期待をするんですが、実はそれだけでは無い。それともう1個ですね。今が調査者の視点ないしは縄文人では無い我々が気を付けておくべき視点だとすると、2つ目、では現地の人にとっての意味というのはなんだろう。

 そもそも現地の人々の意味って何だろうかと出す時に、今日はこういう形で言うと失礼ません、一般な方々に対する講演なんですけど、ここだけ専門用語を使わせて下さい。エティックとイーミックとあります。これはあまりこの方々は気にしなくて良いです。エティックとはなんでしょうかと見た時に、言語学とか文化人類学者等で、ある現象を分析する方法の1つ。つまり外側の観察者から客観的に分析を行うもの。どういうことか。現地の人達にとってこれはカクカクシカジカの今の意味がある。ないしはあなた達は気付いて無いんだけど、こういうことには意味があるんだよという、つまり当事者が必ずしも認識してない。外側の人間から見たインスペクションです。

 それに対して2つ目は、現地の人々がどう認識してるのか、つまり当事者の意味です。エティック、イーミックという片仮名を無視して頂いて、イコールの外から見た人の評価とか解釈なのか、当事者の理解認識なのかということになります。これは簡単に言うと祇園祭ってどんな意味があるんですか。当事者にとってはそれは地元のお祭ですとか、子供の頃から参加してて友達に会える機会ですとか、地域の人々にとってのあれです。これは研究者から見ると、祇園祭によってこんな経済効果がある。それは誰の頭にも無い意味ですが、社会的に意味がありますね。そういう違いだと思って下さい。

 そうすると、外部から観察した意味と、当事者の意味。では今日の恐らく、縄文土器の世界観を探る、縄文の世界観を探るというのは一般的には下のイーミック、当事者がどんなふうに思ってたとか考えてたのかという意味の方になってくるのではないかと思います。そうするとこれ、真ん中にマリノフスキーという有名な人類学者、トルブリアンド諸島という南太平洋で調査した時の写真です。下の方で真ん中に写ってるのは日本の人類学の草分で鳥居龍蔵という方の写真です。周りに現地の人が取り囲んで、彼らの頭の中、調査者の頭の中と現地の人は違うんじゃないか。そうすると、では現地の人々の、つまりイーミックこそが現地の人々の意味なのか、ここを問いたいと思います。人々の、現地の人達にとっての意味とはなんだろうかというお話に今日は話を進めていきたいと思います。(後略)

 

縄文ランドスケープのスライショー上映

 前回の12月23日と同様に、会場の一角に、縄文ランドスケープのスライショーを上映しました。