■企画展「南アルプスの山々とともに ~韮崎市ゆかりの人物たち~」 |
■企画展「小野金六と小林一三 ~宿場町・韮崎から羽ばたいた大実業家~」 |
■企画展「学びの襷、次世代へ~生山正方の稲倉塾舎を原点として~」 |
■第12回企画展「峡北女子教育の先駆者 細田さだの」 |
■第11回企画展「甘利山に木を植え 心に緑の大切さを伝えた 穂坂直光」 |
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■企画展「南アルプスの山々とともに ~韮崎市ゆかりの人物たち~」 |
■展示替え休館に伴う土偶御朱印押印休止について |
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1.韮崎市ふるさと偉人資料館 |
カテゴリ | 歴史 文化 自然 |
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※この企画展は終了しました
【企画展「穂坂直光」 ミニ解説⑦ 先見の明、没後に実を結ぶ】
現在開催中の企画展「甘利山に木を植え 心に緑の大切さを伝えた 穂坂直光」。
この場を借りて、展示の概要をご紹介していきたいと思います。
前回までのミニ解説は、←←左欄の「記事一覧」からご覧になれます。
【穂坂直光の墓:韮崎市大草町の若尾区共同墓地に眠る】
第7回は「直光の先見の明、没後に実を結ぶ」。
前回は、荒廃が止まらない甘利山をよみがえらせるため、穂坂直光(1847-1920、今の韮崎市大草町若尾出身)がどんな具体的な行動を起こしたのかについてお話ししました。
明治28年に甘利山常設委員に就任した直光は、
・県に補助金を申請して木の苗を育てる苗圃(びょうほ)を設置
・毎年平均5万本以上の木を20年以上植林
・植林の計画や予算を立案
・伐採や芝草の採取についての厳しいルール作り
・山火事に備える消防団の組織
・子どもが林業を実習する学校林の設置
・伐採を規制する保安林への編入
・防火線の設置
などを先頭に立って行ったことをご紹介しました。
直光は上に立って計画を立てるだけでなく、自ら山の中に泊まり込んで木を植えたり、60歳を過ぎてから若者と一緒に林業講習を受けたりしました。
直光が厳しいルールを設けたことには反発する人もいたと伝えられますが、自ら率先して実行する姿が信頼を受け、甘利山の麓の村々の人々が植林に協力したのだと思われます。
さて、ここからが今回のお話です。
【未来のために行動した人生】
直光は26年間にわたって甘利山常設委員を務め、生涯で植林した面積は二百町歩(約200㏊)に及んだといいます。
植えた木が大きく育ち、材木として売れるようになるには40年~50年もかかります。
成長を妨げる下草を刈り、間伐をし、余分な枝を落とすなど、その間の手間も大変な労力です。
直光は自分が植えた木が大きく育つのを見届ける前に、大正9年(1920)年に亡くなりました。
まさに、自分のためではなく、未来の世代のために種をまき、木を植えた人生でした。
自分たちより後の世代が、甘利山の資源から得た収益で暮らしを良くしていく道筋を作ること、山を適切に管理することで水害や土砂災害を防ぐこと、それが直光の願いでした。
和歌の教養が深かった直光は、甘利山を思ってこんな歌を詠みました。
「うえてまだ 年はあさひの甘利山 栄(はえ)ゆくすえを 待つにまちみん」
(甘利山に植林してからまだ年月は浅いが、やがて豊かな森に成長するだろう。
そのさかえる様子を楽しみに待っているよ…)
甘利山が緑を取り戻すことを心から願った直光の心情が伝わる歌です。
甘利山が位置する旭村と「浅い」、「生える」と「栄える」、松と「待つ」、という掛詞が使われています。
【没後に実を結んだ直光の行動】
直光の願いは、彼の死後30年近くたってから実を結びます。
直光が亡くなって28年後の昭和23年、甘利中学校(統合後は現・韮崎西中学校)の校舎を建設するにあたり、甘利山の木材の収益が財源として使われました。
また、昭和27年に着工し、昭和29年から給水を開始した甘利上水道(旭・大草・龍岡町に給水する水道)の建設の財源にもなりました。
甘利上水道は今の韮崎市域の中でもっとも早く作られた上水道です。(のちに韮崎上水道と統合して、現・韮崎市上水道になりました)
水道の開通により、それまで井戸から水を汲んで運んでいた労力が劇的に軽減されました。
当時を知る地元の方のお話では、井戸から水を汲んで畑に撒いたり、家畜のために水を運んでいたのが、水道が出来て本当に楽になってうれしかったそうです。
昭和42年には、旧甘利小学校のプールに甘利上水道の水が引き入れられ、子どもたちが清潔な水で泳げるようになりました。
直光の行動が、のちの世代に新しい校舎や清潔で便利な水道をもたらしたのです。
【今ももたらされる恵み】
直光がよみがえられせた甘利山からの恵みは、現代にも続いています。
近年新しく建設された韮崎市の保育園(韮崎市立すずらん保育園、たんぽぽ保育園)や公民館(藤井公民館)には、甘利山から切り出されたヒノキがふんだんに使われており、子どもたちや地域の人々に温かみのある空間をもたらしています。
このヒノキは直光が植えたものではありませんが、彼と仲間たちが甘利山に緑を蘇らせ、私たちの世代へつないでくれたからこそ、今も恵みを受け取ることが出来ると言えます。
「広報にらさき」2015年5月号 「すずらん保育園完成」
「広報にらさき」2018年11月号 「たんぽぽ保育園&藤井公民館完成」
現在、甘利山は「甘利山財産区」が所有し管理しています。
甘利山財産区は昭和29年に合併により韮崎市が誕生したことに伴い設立されたもので、韮崎市旭町・大草町・龍岡町の3町によって構成されています。
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